これだけブログ更新をしなかったのは、初めてである。
2週間弱、フィリピンに飛んで、いろいろ視察、取材してきたので、旅行記も兼ねてであるが、ご報告しよう。
(最後に動画もあります)
今回のフィリピン行きの目的だが、
- 妻の父親の誕生日を一族で祝うために父母の暮らす田舎に行く
- 筆者はほとんどフィリピン知識がないので、少しでもフィリピンについて理解する
- 不動産エージェントに会い、不動産投資の物件を現地視察する
- 日本人の知人とフィリピンでのビジネス起業についての打ち合わせ
という感じである。
今回は1~3について、ご報告していきたい。
最初の記事として、フィリピンに行くまでの様子や、フィリピン田舎の紹介、フィリピン投資に対する考え方など、まずは書いて行きたい。不動産投資の情報などは、次の記事以降で連載していきたい。
どうして今回、フィリピンに行ったのか?
まず大前提として、筆者Ryo-Japanの妻はフィリピン人なのである。
なので、フィリピンという国は、ベトナムやタイなどの他のアジア諸国とは異なる、特別な国になる。
今後投資の話もするわけだが、フィリピンは妻の母国であり、単なる投資効率だけでなく、将来生活の拠点をフィリピンに移す可能性が高いという将来を加味して判断している部分がある。その点は、是非ともご理解頂きたいのである。
不動産投資にしても、単純にインカム・キャピタルゲインによるリターンの大きさだけでなく、移住したらそこを自分たちの住処やビジネスの拠点にもできるという点での価値も含めて考えている。
そのため、決して、単純な投資効率だけでの最適判断ではない物もあることをご承知おき下さいませ。
さらに、筆者はフィリピン人と結婚して10年近く経つわけだが、これまで、正直、まったくフィリピンという国に興味がなかった。投資対象としてだけでなく、移住先としても具体的に考えたことはない。いわゆるフィリピン通ではない。
早期退職して、今後の生活や投資のことを、遅まきながら考える中で、フィリピンという国についてもっと知りたい、投資対象として勉強したい、移住先として多くの情報を知りたいと思うようになったのである。それは、そう、最近の事なのだ。
なので、ここで書くことは、フィリピンのベテランからは、今更そんな事・・・という事ばかりかもしれない。間違いもあるかもしれない。しかし、今回そういう筆者が現地を訪れて感じたことを率直に書くことにしたい。
フィリピンの田舎での出来事
まずは、妻の実家のある、すごい田舎に行った時の事から書いていこう。
日本からマニラまでは約4時間のフライトである。
かなり近い。これもフィリピンのメリットである。ベトナム、シンガポール、タイとかになると、6時間以上のフライトとなり、やはりちょっと長く感じる。
4時間で着くと言うのは、日本と往復を繰り返す場合だと猶更のアドバンテージだ(体力的にも、費用的にも)。
飛行機も、ANA/JALはもちろん、フィリピン航空や格安のLCCも選択可能だ。安いシーズンであれば、ANA/JALでも、5~6万円あれば往復できる。
今回は、現役時代にたんまり溜まったマイルで夫婦二人、ほぼ無料で往復することができた。
写真は、マニラ空港に着陸する直前の街の様子だ。ぎっしりと住宅が立ち並んでいる。
今回は、妻の実家に行くので、マニラに到着してから、さらに国内線に乗り換え、ナガという町にある空港まで飛ぶ。
セブパシフィックで40分程度のフライトだ。
上の地図にあるが、マニラの南東にある。陸続きではあるので、バスなども走っているのだが、17時間かかるということで、パスだ。
ナガ空港はこんな感じだ。まさに田舎の空港である。
ナガからは、車で行くしかない。
高速道路もないので、下道をひたすら田舎に向かって走るのである。緑の線のルートで、ただ走るだけだ。
赤い星印のところが、ゴールの父母の実家がある場所である。
ナガからは3時間のドライブだ。
途中には、ゴアという町があって、そこで色々食材などを仕入れてから向かう。
これはゴアの街にあるケーキ屋さんで誕生ケーキを買うところだ。
田舎ではあるが、結構ちゃんとした街で商店も多い(昔ながらの個人商店ばかりだが)。
Jollibee(フィリピンで人気のファーストフード店)もあって、そこで食事を取るのも恒例行事だ。なぜなら、この先には、まともな街はもうないからだ。
上の写真にも写っているが、いたるところに銃やショットガンを持った警備員がいる。都心部はもちろん、この田舎でも、それなりの店にはほぼ出入口に立っている。バッグの中身チェックをする事も多い。それだけ犯罪も多いのであろうが、民間の警備員が大きな武器を持って立たれても、なんか逆に怖くなる。街中、結局、武装した人で溢れているからだ・・・
上の地図ではわからないが、途中からはかなり山深い場所になる。ちょうど最後の部分で緑の線が上に向かって垂直に走っている場所だ。
いわゆるクネクネ道だが、それだけでなく、とてつもない悪路だ。さすがに近年は舗装されているのだが、舗装の破壊されっぷりがすごい。大穴があいてたりする。
ところどころに小さな集落があるが、その間は、ここで殺されたら絶対に見つけられないだろうな・・という場所の連続である。
とても一人で来る勇気はない場所だ。妻の実家でなければ、一生訪れることはなかったであろう。
本当の妻と一緒でも、ふと、不安になる(笑)。このまま帰れなくなるのではないかと・・・
道中の写真はこんな感じだ。
あまりその田舎さ加減をお伝えできる写真ではないのだが、このように、ヤシの木の生い茂る荒野、山林が永遠と続くのである。
フィリピンの田舎、妻の実家で父親の誕生日会を開催!
妻の実家は、山の中のヤシの木の林を開墾した、広大な土地に粗末な家を建てて暮らしている。
敷地内には、このあたりでは人気の闘鶏場を建て、闘鶏賭博を開催し、日々の生活費を稼いでいる。
闘鶏場は、父親の手作りだ。上は実際の写真だが、鶏を育て、それを戦わせて賭けるのである。この日は300人ぐらいが詰めかけていた。娯楽の少ないこの田舎では、結構な人気なのである。
自分的には、何が面白いのか、いまだによく理解できないのであるが・・・・
鶏の足には、鋭利な刃物が付けられており、それで切りあいするのだ。なので、負けると死ぬ。勝っても、死ぬケースが多い。
死んだ鶏は闘鶏場の横で焼き鳥にして売っている。
なんかすごい世界だ。
闘鶏場であるが、町から許可を得て営業しているために、利益の半分は町にとられてしまう。それでも、他に大きなビジネスの無い田舎では大切な収入源になっているのである。
誕生日の夜は、親類縁者、近所の人を招いて誕生日パーティーである。
写真のように豚の丸焼きや、新鮮な魚介類が並ぶ。多くの料理を作り、それを、近隣の人にも振る舞うのである。
ちなみに、豚は飼っていたやつを、前日に殺し、さばき、血を抜いたものを丸焼きにしたものだ。頭が飾られている。もちろん頭も後で食べるのだ。
その処理を全部自分達でやるのだから大変だ。この家には、父母だけでなく、いわゆる遠縁の人とかも身を寄せている。一人では食っていけないので、ここで下働きを住み込みでやりながら暮らしているのだ。そういう人たちが結構いて、その人達が料理の準備や豚のさばきや、闘鶏場の開催などを手伝っている。給料はないが、住む場所と食事は、家族の一員として与えられている。
そのようなお手伝いの人を含めると、ここには全員で10名以上が暮らしている感じだろうか。
パーティーには、お腹を空かせた近隣の子供たちも集まってくる。子供を大事にする彼らは、写真のように、いろいろなゲームやイベントを用意して、子供たちを楽しませる。これはコーラの早飲みゲームだ。
ゲームに勝つと、100円程度のお小遣いを貰えたりする。もちろん、このあたりの子供には大金である。
こちらも同じように、子供向けのゲームだが、日本の西瓜割りのようなものだ。吊り下げられている土器を割ると、そこに小銭が仕込まれており、地面に落ちた小銭を拾うのだ。
基本的には、楽しむだけでなく、お小遣いを子供たちに上げる趣旨なのである。
さらには、大人が参加するゲーム(風船割とか、ビールの早飲みとか・・・)もあり、夜更けに向けて盛り上がっていく。
こちらは、パーティに参加してくれた、近隣のおかまちゃん達だ。全員おかまである。
こんな田舎にもオカマがこのレベルで生息しているのはすごい!
一番手前の左の彼女とか、右側の手前から2番目の彼女とか、かなりかわいい。普通に抱かれても良い・・・
妻の弟の一人がオカマなので、その関係で、こんなに多くのオカマが集まってくれて、パーティーを盛り上げてくれる。ありがたい話だ。
こういうのが、この10年は日常になって、身内や近くにオカマちゃんがいても、驚かなくなっている自分が怖いのだ。
こんな田舎では、稼ぐ場所もないだろうに、なんでこんなにフィリピン男子はオカマが多いのであろうか・・・不思議である。
こうして、大騒ぎをしながら、誕生日は夜中まで大騒ぎが続くのである。どんなに大騒ぎをしても、どんなに大音響で音楽をかけても、まったく問題ないのが、田舎の良いところである。
フィリピン田舎で想うこと
田舎はまだまだ貧しい。農業以外の産業がないからであろう。
人々は本当に貧しい生活を送っている。同じ国でも、都市部との格差は著しい。日本にはこの格差はない。
しかし都市部に暮らす貧乏な人々(いわゆるスラム街の人々)よりは、はるかに人間的で豊かな生活を送れていると言えよう。それほど、都会のスラムはひどい状況だ。
以前、ザ・ノンフィクションでフィリピンに住む日本人の事を取り上げていた。それについて記事にしたので、そちらもよかったら参照してください。
田舎には多くの手付かずの自然がある。観光業がもう少し広まってくれると(そのための空港や道路などのインフラ整備が進むと)この地域も豊かになれるのであろうが。
貧しいがしかし、地域の中で人と人とが助け合って生きている。多くの子供たちが育っており、彼らの存在が町の将来の発展を夢見させてくれる。その将来の可能性を、大人たちが大事に育てている。満足に学校も通えない子供も多いが、子供たちが社会の大きな要素になっている。働き手でもあり、将来への希望でもある。
残念ながら、今のままの田舎(妻の実家のある場所)に、将来住めるとは思えないが、投資や事業に失敗したら、一文無しになって、この土地に逃げ込むかなぁ・・・などと最後の保険と考えたりもする。温かい気候と、豊かな土地と、助け合いのコミュニティがあれば、なんとか生きていけるものではないだろうか。
気が付いたら、地面に埋められているかもしれないが・・・
そんな事を思いながら、またマニラに戻る飛行機に乗ったのである。
次回はマニラ編。最新の都市部状況と物件見学など。お待ちください。
今回の動画はこちらからどうぞ。