フィリピン移住  開店、そして1年・・・

なんと、ここに記事を投稿したのは1年以上も前になってしまった。

前回の記事では、開店準備に明け暮れている様子を少しご紹介したのであるが、それ以降、様々な作業に忙殺され、まったくブログ更新どころではなくなってしまったのだ。

思いのほか、突然かつ順調に、コロナの規制が緩和され、本当に開店を急がなければならなくなった状況もあったのである。

とにかく、あらゆる手続きに時間と手間とお金がかかる。

電気の容量を増やす変更をするのも、近所の変圧器を変える必要があるだの、そこから電線引くために電柱たてなきゃいけないだの、2か月、3か月仕事になってしまう。こういうのは日本ではまったく予想できない事態なのだ。

営業許可取得、消防監査、水質チェック・・・・あたりまえの手続きなれど、その手順は複雑だし、この国では、事前にネットで手順を調べて準備して・・・ができない。そういう情報はないし、結局は担当の人間によって言うこと、要求事項、手順などが異なるのは当たりまえ。要は、一つづつ、臨機応変に、流れに任せて、進めるしかないのである。時には、以前よりは減ったとはいえ、あからさまに袖の下を渡さないとどうにもならない事もある。

というわけで、大変な苦労をしたが、無事4月の末に開業にこぎつけたのである。

あのコロナの地獄を考えると、開業できたこと自体が奇跡であり、幸運であったと言えよう。あのまま、コロナ封鎖があと1年続いていたら、果たして開業にたどり着けたことか。経済的にも精神的にも、ぎりぎりの所で救われた感じである。

 

 

店のテーマは、「本物の日本の味をフィリピンで」。月並みなだが、これが難しい。特に継続するのが難しい。最初は日本のレシピで日本の味を出せても、こちらのローカルなコックさんはすぐに自分流に変えてしまうのだ。常に監視していないと、あっというまに、「日本料理風」になってしまうのである。

 

さて、店の苦労話はともかく、ここは基本的に早期退職、海外移住がテーマのブログであった。

ほぼフィリピンに住むことになってから、1年半ほどであろうか。たった1年半ではあるが、非常にフィリピン社会のディープな場所に踏み込んだ1年半であった。それは、単にリタイアしてフィリピンで暮らすというだけでなく、こちらで起業しお金を稼ぐ仕組みを作るということをしたからであろう。

 

前述のような様々なスタートアップの苦労は多い。賭けでもある。うまく開業しても、そのあとも様々な問題を解決しなければならないし、ほぼ365日仕事をしなければならない。ビジネスを始めたら、始めたなりの苦労というのはかなりあるし、小さいものではない。

しかし、もし、早期退職してすぐにフィリピンに来て、退職金と年金だけで楽しく楽に暮らしていたらどうだっただろうか。

個人的には、そのような暮らしをするには、早期退職者(50代後半を想定)には早すぎると感じた。かりにフィリピンや外国という目新しい場所であってもだ。ありまる時間を「自由」ととらえられるのか、「暇な時間」と感じるのかで大きく違うであろう。朝起きて、何にも拘束されないが、何もする予定がない。そしてそれは明日も続くのだ。サラリーマン時代にはそういう毎日にあこがれたものだが、もしそれがこれからずっと死ぬまで続くとしたら。

これは個人個人の考えや環境、これまでの歴史、価値観などで万別であろう。個人的には、やはり何か自分の働く場所、居る場所、やるべき事がないと、まだまだ続く長い老後の時間に堪えられないかもしれない。そして、こうして毎日働ける環境を持てたら持てたで、ああ、もっと楽に老後は暮らしたいなどとも思ってしまうのは、しょせんは人間、ないものねだりな生物なのであろう。

移住・開業して1年が過ぎ、店の営業もなんとか安定してきた。最近は従業員だけにまかせても、なんとか営業できている。これからは、できるだけ時間を作って、それこそ、フィリピンならではの、楽しい経験を重ねていきたいというのが次の目標になっている。

もはや、事業に集中してお金をもっと稼ぎたいとは思わない。いつまで健康でいられるかもわからない。健康を害したら、もはやフィリピンでは暮らせなくなる。健康で元気な残りの人生の時間を、いかに楽しく平和に心地よく過ごすのか。仕事においてもそれ以外の時間においても。

そのためにさらに何をすれば良いのか。まだまだ今は人生のゴールへの通過点でしかなさそうである。

     
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