今回のフィリピン滞在は、3ヵ月ちょっとと、ゆっくり腰を据えて準備できる時間であった。実際に数か月を現地で暮らすと、これまで見えていなかったメリット、デメリットがわかってくる。海外移住を決断する前に、できるだけ、数か月単でのお試し移住をするべきである。
今回の滞在を少し総括してみよう。
今回の大きな目的はいくつかあった。
- 建築中のレストラン・貸しテナントビルの工事加速
- 結婚ビザ、永住ビザの申請と取得
- 賃貸マンションの退去確認と新規テナントとの契約
- 駐車場の引き渡しと賃貸契約
- 移住・半移住に必要なものの見極め
完遂できたもの、できなかったもの、いろいろある。簡単に整理してみよう。
ビル工事の加速
コロナの影響で、業者の一つが飛び、新たな業者を見つけて、契約内容を固め、作業再開させるのに、今回大変苦労したが、無事、工事再開した。7月末までの完成で作業が大きく進み始めたのは今回の大きな成果である。まだまだ予断は許さないが、大きなコロナ状況の変化が無ければ、7月末には、かなり形になっているであろう。
もちろん、経済復興の先行きは不透明だ。これを建てている場所は、マニラ最大の歓楽街の中心部であり、やはり夜のビジネスが再開されないと観光客が集まらない。ターゲットは、お金を持っている中国・韓国・日本・フィリピンの裕福層だ。彼らが、ビジネスや接待、同伴で使ってくれることを狙っている。売りは、日本から直輸入の食材である。高級であり、安全であり、日本本場の味。多少高くても、味にうるさい裕福層、交際費・出張費で支払うビジネス客、浮かれた観光客に突き刺さって欲しいのだ。
現時点では、年内にすべての準備が整い、年末から本格的に開業できればと考えているのだが、なんとか実現してほしいものである。
結婚ビザ、永住ビザ
永住するには、やはりそのためのビザを取得しておくに越したことはない。特に現地で仕事をする場合など、違法就労にならないようなガードは必要である。今回、エージェントに依頼して、結婚ビザの申請をしたのだが、残念ながら完了できなかった。もう少しフィリピンに滞在すれば、ビザの取得完了を待つことができたのだが、今回は我慢できずに、それを待たずに一旦帰国することにしたのだ。
通常であれば、2-3ヵ月で結婚ビザ取得完了の予定であったが、途中にまたロックダウンが発生したり、移民局内でクラスター発生があったりで、予定どおり進まなかった。残念だが仕方がない。
次回行くときにはまた、短期滞在ビザ9aを取得しなければならなくなる。費用も手間も面倒だが、仕方ない。
次回フィリピンに行った際は、エージェントに頼むと、8000円で残りの作業を完了してくれる約束になっている。手続きは終わっているので、あとはパスポートにスタンプを押して、正式にビザを発給してもらうだけなのだ。
まずは1年の有効期限を持つ仮ビザが発給され、1年後に正式な結婚(永住)ビザに更新されることになる。永住ビザ獲得まで、まだまだ手間と時間とお金がかかるのである。ただ、結婚ビザが一番取得が容易であり、その他のビザでの永住はなかなかハードルが高くなる。このあたりは、もう少し調査が必要だ。
その他不動産関係
今回はとある場所に駐車場スペースを買って、少額だが、駐車場貸しの小商売を始めた。その手続きを諸々完了させたのである。フィリピンでの駐車場賃貸料はこれから大きく跳ね上がると踏んだのだが、どうだろうか・・・
例えば、デパートやショッピングモールの駐車場は、3時間で50ペソ(100円)が相場だ(マニラ首都圏)。まだまだ日本の駐車料金相場に及ばない。これから人口が増え、車の所有者が増え、どんどん駐車場料金が爆上げして行ってもらいたいものだ。
フィリピンでの投資は、きっちり権利関係を抑えれば、不動産投資がなんと言っても安全である。あくまで中長期で見た場合の話だが。もちろんフィリピンが中長期で、人口増加、インフレが進み、日本の高度成長期には及ばずとも、大きな経済発展を遂げるというのが大前提の見立てとなるのだが。
フィリピンに退職後、貯金や年金で老後移住を考える場合、どうしても、その蓄え・年金収入が物価上昇とともに、実質的に目減りするリスクがある。インフレのスピードが速ければ、持っている現金の価値はどんどん下がってしまう。理想的には、インフレで支出も増えるが、収入も増えるという仕組みが欲しい。もちろんリスクはあるが、インフレと合わせて収入絶対値が上がる、現地でのなんらかの収入源を確保しておくのが望ましいと言える。
半移住体験を振り返る
今回の3ヵ月の滞在中、仕事をして、生活をして、旅行をして、フィリピンで暮らした際のシミュレーションをしてみた。衣食住という意味では、まったく違和感なく暮らせることを確信した。そのために、高層マンションの自宅、自家用車、駐車場、インターネット環境などをきっちり整備した結果でもある。
朝起きて、テレビを見ながら朝食を食べ、車で仕事現場に向かい、業者と英語とタガログ語で打ち合わせをし、仕事仲間と日本食居酒屋で語り合い、飲酒運転(妻の)で帰宅する。シャワーをさっとあびて、エアコンの効いた快適な空間でNetflixの映画を見ながらリラックスする。日本の生活とまるで変わらない。
先日紹介した、日本食材の市場に行けば、いろいろ入手できる。フィリピンローカル料理も大好物だ。ショッピングモールに行けば、中華、イタリアン、焼肉、しゃぶしゃぶなど、各国料理もふんだんにある。
少し疲れたら、自宅にマッサージを呼んで、リラックスすることができる。2時間じっくりオイルマッサージしてもらって、1500円だ。日本だったら1万円か?このような単純労働作業の単価はまだまだ低いのである。安いのに、気持ち良い。最高である。
基本的には、日本と全く変わらない生活、場合によっては日本に優る衣食住をおくることができる。まったく不自由を感じることはなかった。もちろん、自分の場合、フィリピン人の妻が常に側にいて、いろいろやってくれるというアドバンテージは大きいのだが。
一方でフィリピンでの長期滞在生活、移住をする事に感じる不安も体感できた。極めて当たり前だが、外国で暮らすという事で発生する、積み重なるストレスだ。きっちり事が進まないこと、時間通りに事が進まないこと、その他、母国日本とは異なる様々な事に小さなストレスが溜まり、少しづつ疲れてしまっていくのだ。これはフィリピンに限らず、外国に住むということの避けられないマイナスポイントでなかろうか。これらの小さい違和感に慣れていくには、やはりそれなりの時間を現地で過ごさなければならないだろう。
細かいことを言えばキリがない。
ずっと、夏なので、気候に飽きてくる。暑くて疲れる。1年中、夏バテしそう。寒さが恋しくなる。
水がどうしても合わず、ずっと便が柔らかい。食べるとすぐにしたくなる。
交通渋滞、むちゃくちゃな運転、自分で運転したくない。
公的な健康保険がないので、最悪、超高額な医療費を請求される。または適切な医療を受けられないリスクがある。
治安に対する心配。日本以外はそうだが、犯罪や危険に合うリスクが圧倒的に高く、最低限の警戒を常にしていなければならない。
店員の愛想が極端に悪い。日本のように神様扱いしてくれない。
タガログ語がしゃべれないと、十分に意思疎通できない場合がある。
バスタブが家になくて、お風呂でリラックスできない。
このように、細かい不安やリスクはいろいろあるが、これらを含めて、海外移住するということは、このような新体験を楽しむということなのではないだろうか。逆に言えば、今までと異なること、日本と異なることを受け入れられない人は、海外移住には向かないということである。
フィリピンの都市部に住めば、日本とほぼ変わらない生活は可能であることがわかった。大きな不自由はない。楽しい生活を送れるか、充実した人生を送れるかは、結局、どこで暮らすかではなく、どう暮らすかである。部屋でテレビや配信映画を見て暮らすのであれば、それは、日本でもフィリピンでも変わらない。移住した意味がない。移住するという事自身が目的になってしまっては、長続きはしない。移住してこれをするんだ、これをする為に移住するんだという、何からの目的をイメージしておかないと、結局は日本に戻ってくることになりそうだ。
これからの移住計画
自分の場合は、日本で再就職した時間も経て、第2の人生は、フィリピンを中心とした半移住生活を送ることに決めている。最大の目的は、これまでのサラリーマン生活で経験できなかった、自分で商売してお金を稼ぎ暮らしていくことである。素人が日本でそれをやることは難しく、ほとんど諦めていたのだが、発展途上であり、妻の母国であり、たまたま共同経営するパートナーができたという中で、フィリピンでトライしてみようという決心に至ることができた。残された短い時間を、何もせずに後悔するより、やりたい事に挑戦するリスクを取ることを選んだのである。
さて、これからであるが、すぐにまたフィリピンに行かなければならない。現地で工事を監督してくれる人はいるのだが、人任せにはできない。7月末が納期なので、そこでの確認は最低限必要である。結婚ビザの最終手続きも必要だ。
次回の訪問時は、妻に拳銃の所持許可をとらせる予定でもある。
できれば、6月中旬にはフィリピンに戻りたいのであるが、とにかくコロナの中で動きずらい。現時点では、フィリピン入国時には、14日間の完全隔離(指定ホテルでの)が必須だ。3日間でもうんざりなのに、14日間というのは本当につらい。まったく外に出れないので、ホテルの一室で何もせずに2週間すごすのはまじで地獄であり、時間の無駄である。早くこの隔離期間が短縮されることを祈るばかりである。
今年はちょうど60歳になる年だ。そして私生活も大きく変わる年にもなるであろう。一体どうなるか・・・楽しみである。