早期退職を振り返ってみた 今の気持ちとこれから

35年勤めた会社を57歳で早期退職したのは、2019年4月のことである。それから、もう2年が経過したことになる。そして今年、もう少しで60歳を迎えるのだ。

この2年の出来事を簡単にまとめると、以下のとおりだ。簡単に振り返っておこう。

2019/4~12: 夢見る無職時代

長年の会社勤めから解放されるとともに、早期退職金というまとまった現金を得て、さて、これからどう楽しく生きていくか、どうお金を稼いでいくか、不安ながらも新しい自分にわくわくしていた。このブログを開始して収益化にトライしたのもこの時期だし、その他、国内外に不動産を購入して、家賃収入を得ることを始めたのもこの時期である。

この時点ですでに、いずれはフィリピンに半移住するというイメージは持っていたが、すぐに移住するという気持ではなく、漠然としたのであった。

しかし、時が経つと、毎日仕事をしていない事に不安と退屈を感じはじめ、ちょうど知人からの誘いもあって、再就職することになったのが、2019/11であった。

再就職時代

2019/11から2020/11までちょうど1年間、再就職してまた会社勤めを始めた。後半はコロナ禍とも重なってくる。非常に忙しい会社であり、責任あるポジションや妥当な収入を得ることができ、満足していたが、ちょっとした社内のいざこざもあり、また、このままこの激務な勤めを続けていたら、残された時間の浪費ではないかとの感情も芽生え、結局、退職することにしたのである。

この時実感したのは、毎月固定収入が得られることのありがたさ、精神的安定感であり、逆に、自分だけの力で収入を得ること(会社勤め以外の方法で)の難しさである。確かに拘束時間は長いし、ストレスも大きいが、あの手取り給料を別の方法で稼ぎ出すのは大変だ。その前の無職時代の経験から、一層強く実感したのである。サラリーマン最強であると。

今思えば、もう少し、勤めていたらよかったかもしれない(笑)。経済面での精神的な安定は、この上なかったので。

まあ、しかし、それも運命というものだろうか。勤めを続けていたら、それこそ、フィリピンでの商売立ち上げに自らの時間を割くことはできなかっただろうし、残された時間を会社に浪費されている感を拭えなかったであろう。これはある種の被害妄想でもあるのだが。

1年だけではあったが、これまでと違う環境、人間関係、立場で会社勤めを再開した事は、とても大切な経験になったと感じる。これを通して、会社勤めの良い点、悪い点を客観的に再認識でき、30年以上会社で頑張ってきた自分に誇りを感じることができたし、この先、自分がどう生きたいかを再確認することができた。

この2度目の退職を期に、フィリピンでの商売立ち上げに、自分のすべての時間を割き、そこに全力投球することを決意したのである。

やりたい事を横に置いておいて、収入的安定化のために、さほどやりたくもない会社勤め(仕事)を続けるのは、やはり人生の浪費である。この先、いつ病気になったり死んだりするかもわからない年齢層に到達する中で、やりたかった事に100%注力しないまま、人生を終わってしまう事が一番の後悔になるのではないか。まあ、後付けの理由付けの感もあるが、自分としては、それで納得・決断できたのである。

フィリピン移住準備時代

これまでは、妻と、現地にいるパートナーにほぼ任せきりだったフィリピン商売準備に、全面的に自分も参加し始め、口と手と足を出し始めたのが、2020/12からである。

この時はすでにコロナで世の中はがたがたになっており、フィリピンでの長期間にわたる完全ロックダウンで、商売の準備(テナントビルの工事)は遅れに遅れていた。また、業者のひとつが飛んでしまい、そのリカバリーも急務であった。工事元請会社との折衝や、契約見直し、費用見直し、工程見直しなど、妻がタガログ担当、私が英語担当でタッグを組み、日本からそしてフィリピン現地で動き回ったのが、今年に入ってからである。2月の初旬にはフィリピンに出向き、先日帰国するまで、100%これを自分の仕事として動いたのである。

妻と一緒に、ファミリービジネス立ち上げのために、自らの全力を尽くすのは、まさに、自分がやりたかったことに他ならない。目途が立って、日本に一時帰国しているが、現地では、毎日20名近い作業員が、すごいスピードで工事している状況になっている。一応は成果が上がったと思っているのだ。

このままの状況で進めば、7末工事完了は問題ないであろう。フィリピンでの作業は、多くの安い労働力を集約的に投入可能なので、始まれば速いのである。

現状では、お金が出て行くばかりで不安はある。ここから収益を得られるのは、早くて年末からであろう。本格的な回復は来年だ。回復しても、ニューノーマルとやらが、どうなるかのリスクもある。しかし、個人的には、早々、人間の本能的な欲を抑制し続けることは不可能だと確信している。それは、性欲であり食欲である。その本能がなくならない限り、それを満足させるビジネスが存続する可能性や方策は必ずあると信じているのだ。

それが正しいかわからない。正しくないかもしれないという不安は常にある。しかし、その不安があるから、失敗するかもしれないから、何もしないというのであれば、それは、結局、死ぬまで何もしない人になってしまう。安全で失敗はないが、自分にとっては、生きているだけになってしまう。働けるまで働いてしっかり稼ぎ、その後はゆっくりのんびり毎日を過ごすのだ・・・・という人生観を否定するものではない。自分もいずれはそうなりたいと願うであろう。ただ、今の自分の年齢では、まだそうは思えないということである。

これからの早期退職生活

早期退職から上記のような2年の時間を経て、今の自分のビジョンは明確に定まっている。もちろんこれは、将来また変わるかもしれないが、それはどうでもよい。

妻と一緒に協力しあって、自分達がこれから食べて行く生活費を稼げるファミリービジネスを立ち上げる。フィリピンに半移住して、そこでは、自らその商売で働き日々の稼ぎを得る。加えて、フィリピンの成長に投資していく(不動産、株式)。安定した収入を得られる状態を目指し、体がしんどくなったら、70歳までには引退し、都心の不動産を売却して郊外のゴルフ場に近い場所に一戸建てを構え、夫婦でゴルフしながらフィリピンで余生を過ごす。治療費高いので、長生きせず、自然に任せて、妻に面倒を見てもらいながら、土に帰る。75歳ぐらいまで生きられれば十分である。

時々は日本から友人たちが、遊びに来てくれると嬉しい。ゴルフしても良いし、ビーチに行ってもよい。ギャンブルもよいし。

このようにして、妻のフィリピン系ファミリーに囲まれて賑やかな中、一人で、静かに死んで行きたいのである。うまく行けば、ファミリーがそれ以降も食べていけるだけの商売と資産は残せているはずだ。

これからの生き方、人生ビジョンをこのように具体的に持つことができたのは、早期退職をして、早めに残りの人生に向き合えたからかもしれない。無我夢中で働いていると、人生はこのまま同じ様に永遠に続くものと感じてしまう。しかし実際にはそうではない。60歳を越えれば、もういつ死ぬか、大きな病気になるのかわからないのだ。そんなワーストケースを前提に、これからの生き方を考えておく必要があるのではないか。

あのまま、早期退職せずに、大きな会社で働き続けていたら、やっぱりもっと稼げていただろうし、地位のある立場で働き甲斐も感じらえただろうし、失敗したかな~~と心の隅で後悔しながらも、まったく新しい人生のビジョンを持てたことにも楽しみを見出しつつ、さて、どうも退屈な日本をいつ再脱出するかなあなどと考えている、早期退職後2年の今である。

 

 

     
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