こちらのニュースが気になった。
引用~
大卒者の定年退職者(勤続20年以上かつ45歳以上)の退職金の平均額は、1997年の2871万円をピークに下がり続け、2017年は1788万円と20年間で1083万円も下がった。
3人に1人は「受け取るまで額知らず」
~引用終わり
面白いのは、受け取るまで退職金をいくらもらえるか知らない人が多いことだ。
実は、自分もそうであった。いきなり早期退職に応募することになって自分のもらえる退職金の額を知ったが、それがなければきっとこの先、いつまでも自分の退職金の額を知ろうとも、聞こうとも、というか、知りたいとも思わなかっただろう。
退職金平均が20年前より下がった理由
記事にはあまり明確な理由は書かれていない。退職金制度がない会社が割合として増えたことは平均値には影響を与えるだろう。
単純に言えば、1997年以降のITバブル崩壊、リーマンショックからの回復のためにアベノミクスで徹底した金融緩和を行い、株価とみせかけの経済回復がなされているだけで、新しく大きな産業や企業が成長したわけではない。レガシーな国内企業は売り上げ規模は縮小均衡の中で、コストカットによりどうにか利益を絞り出してきたのが実態であり、その中で、賃金カットとして退職金を減らしたり、廃止するのは当然だったのではないか?
今の景気、経済は、日銀がお金を刷って、そのお金で株を買って日経平均を維持しているだけなのだ。株価が上がって、企業の時価総額が上がったって、それはその企業の価値が上がったのではないことになる。当然、日本企業に、退職金の水準をあげる体力などはあるはずもない。
Amazonが通販・流通・クラウドサービスを制覇して、Appleがスマホ市場を制覇して、Googleが広告市場を制覇して、株価と時価総額を上げてきたこの10年とは、まったく意味が違うわけだ。
しかし多くの人は、まだ日本は大丈夫だと言う。一流国だと言う。不思議だ。もはやそう思いたいだけ、という気がするが。日本の中だけにいると、こうなってしまうのだろうか。
退職金は悪なのか?
退職金制度は、早々にやめるべきだとは思う。
要は給料のまとめ後払いなので、終身雇用前提の社会では、成立していたのだろうが、逆に今では、終身雇用社会を壊し、才能や機会の流動性を高めることへの足かせになってしまっているだろう。
終身奉公を条件にした制度なので、途中でやめると、退職金の額は極端に低くなるように設計されているので、辞めたくても辞められないのだ。今まで安月給で働いた分、損しちゃうからだ。
若い人だけでなく、40代、50代の才能がもっと流動的になるには、この足かせをどこかで壊してやらなければならない。そのためには、企業が思い切って、退職金制度をやめ、その分を通常給与に上乗せする決断をしないとならないが、そんな事、企業の目先の利益にとっては何のメリットもない話なので、これは政治主導でやらないとダメなのだ。
もちろんそんな事をしたら、企業から嫌われて選挙に勝てないので、誰もやらない。
要は、変わらないということだ、この国は。昔からずっとこうなのだろう。
それはともかく、
退職金がなくなって大丈夫なのか?
自分がいくら退職金をもらえるかを知らない。興味がない人が1/3もいるという。
要は、終身雇用で定年退職する時は、それなりにちゃんと退職金をもらえて、それと年金でなんとか生きていけるだろうぐらいの意識しか持っていないからだろう。
これは、自分で人生設計をしていないことになる。非難しているのではない。自分がまさにそうだったからだ。
将来のお金のことを、ある意味、会社に丸投げしているかのようだ。会社が給料から天引きし(実質的には)拠出金と合わせて積み立てて運用して退職金という老後資金を準備していることに頼り切ってしまっているのではないか。自分のお金の事なのに。
この意識のままでは、いきなり今の退職金制度がなくなってしまったら、定年時に何も準備ができておらず、詰んでしまう人がたくさん出かねない。生活が苦しい中で、自ら将来のために積み立てるというのは、なかなか難しいことである。それは間違いない。
前節で、やめてよいと思うと言ったのは、この企業主導の退職金制度だ。労働力、才能、機会の流動性の妨げになるからだ。
その一方で、ただやめただけでは、路上に高齢者のホームレスが溢れることになりかねない。
もっともっと、個人(企業)確定拠出年金制度の推進・徹底を図るべきだ。
退職金制度から個人年金制度への移行を!
個人型確定拠出年金(イデコ/iDeCo)をご存知だろうか?
若い方だと、名前ぐらいは聞いたことがある・・・ぐらいの方も少なくないのではないか。
自分でお金を毎月積み立てながら、有利な優遇税制の下、自分で運用方法を決めて、将来の個人年金(一括で受け取るなら退職金と同じイメージ)としてお金を貯めて、増やしていく制度だ。
以下の記事で以前、整理したので、是非、参照して頂きたい。
会社全面依存の退職金制度(企業型確定給付年金という)で縛られ、自分の将来の設計を会社に依存してしまう状況から解き放たれ、自分の事は自分で決められる自由と独立を、サラリーマンも持つことができるのだ。
過渡的には、企業も一定の拠出を行う、個人・企業ハイブリッドな確定拠出年金制度もある。今では多くの企業もこちらの制度に移行してきているはずだ。転職後も容易に会社間で引き継げるようになると価値が高まる。
経済活動によって生み出されたお金を、さらに経済活動に投資として戻し、経済の発展の肥やしにし、新たな企業のIPOにお金が集まり、新たなビジネスが生まれ、またそのお金がサラリーマンに還元され、それがまた投資に・・・・
そんな簡単な絵に描いた餅ではないのかもしれないが。
どうやって浸透させていくのか、社会の制度を変えていくのか?
これまで書いたのは素人のたわごとだ。もっと適切な論理・議論が必要だろう。
それはともかく、世の中に出る前に、いつ、若者は、このような経済の仕組み、年金や税金の優遇制度の話などを学べるのだろうか?アカデミックな経済学の勉強の話ではない。生きていくため、将来の人生設計のための、身近な経済の知識だ。
高校生あたりの社会で教えてくれるのだろうか?
テレビはだめだ。芸能ニュースばかりだ。池上さんなら教えてくれるかもしれない。
18歳の若者が、自ら勉強するのが当たり前なのだろうか。するわけない。
知らなくてよいと大人は思っているのだろうか。
裁判制度の基礎を学ぶために、模擬裁判を授業で行っているという話を米国の高校の話として聞いたことがある。日本の高校でもやっているかもしれない。
同じように、模擬定年退職をやってみてほしい。模擬確定申告もどうか。
模擬個人事業主。模擬起業、模擬社長。
そういう教育は必要ないのだろうか。
などと言っても、この国がすぐに変わることはない。
だから、我々大人(親)は、子供に自ら教育すべきだ。教えるべきだ。20歳になって、国民年金の支払い義務が生じたら、ちゃんと年金とは何か、どれだけ危機的な状況で、どれだけ自分で備えていかなければいけないか。そういう心配をしないために、自分で大きく稼ぐ必要があること。などなど、きっちり子供に教えよう。
残念ながら、この国の教育や政治の変化を待っても無駄だ。
完全に愚痴になってしまって恐縮である。書いていて、どんどん不安になってきてしまったのだ。早速自分の子供を呼んで、話してみることにしよう。今は興味なくても、理解できなくても、いつかそういう話を父親がしていたなぁと思い出してもらうだけで意味があると思いたい。